三十三所巡礼行記 0.はじめに
この記事は12月に書き始められています、卒論はどうしたのでしょうか(死亡)。
ⅰ.ごあいさつと経緯
どうもこんばんは、何度もブログを書いては消しを繰り返していますひいらぎです。
いきなりではあるのですが、僕には御朱印巡りの趣味があります。高校時代の友人の御朱印帳にあこがれ、コロナに入り外出が制限されたタイミングでたまったフラストレーションが爆発した結果、近所の御朱印帳を手に入れて始めました。古都散策有史会っていう京都とか奈良とかにぼーっと出かける寺社仏閣を巡るサークルにも入り、そして思った数倍そういう外出に付き合ってくれる友人もいたので4年間かけてかなりの数の寺社に行くことができました。
そして、前々からこうした趣味の集大成として、訪れた寺社や周辺情報・旅の様子を文章に起こしてまとめたいなという気持ちを抱えて過ごしてもいたのです。いやなんで本当に前回の下書きから半年も経ってるんだよ。
こうした経緯があり、この継続的に作業をしたいけどいまいち作業に身が入らず、そろそろ絶望が見えてきそうなこの期間で意を決してブログを書こう!ということで深夜テンションで始めることにしました。とりあえず、
・パソコン前での集中するためのリハビリ
・ある程度まとまった文章を書く能力の養成
・自分の旅行とサークルでの活動の整理
を主な目的として続けていきたい所存です。
ⅱ.本シリーズの内容について:三十三所巡りについて
ということで僕の大事な時間とこのブログを読んでいるあなたの大事な時間を奪って僕がこの時期にブログを書く経緯について読んでもらったわけなのですが、具体的にどういった形式で紹介していくかについてお話させてください。
まず、この記事は西国(さいこく)三十三所のお寺を中心に紹介していきます(関連寺社や普通に旅行の部分も同一記事で扱いますが、全然関係ない寺社の記事や旅行記は番外編でナンバリングしていきたいと思います)。
西国三十三所巡りは、養老2年(718)に大和長谷寺の開山徳道上人が開き、約270年後に当時の花山法皇により再興されたものが発祥で、最古の巡礼路となっています。現在は元々写しの巡礼路(遠方で西国を巡礼できない人々のために整備されたもの)の坂東三十三所(関東圏)、秩父三十四所とともに日本百観音霊場としても親しまれており、極楽浄土の手形になるそれぞれの朱印を集めていくという流れになっています(https://saikoku33.gr.jp)。御朱印集めを始めるにあたり、とりあえずの目標を定めようということで始めたのですが、思った以上に壮大な目標となり、絶賛巡礼中です。西国のキャンペーンとして、巡礼すると一枚散華(さんげ)がもらえるので、これを集めるのが楽しくて何とか今まで続いているのかなとも思います。
そして、紹介のルールとして、記事の通し番号は三十三所の礼所の番号に準拠して書いていきたいと思います。つまり
参拝順≠投稿
順
の形で進めていくということです。
なので番号は飛び飛びで紹介することになるし、文章内時系列はナンバリングと同期しないのでキモ配列になるのは気にしないでください。そもそも細かいとこまで気にしてくれる熱心な読者はいないと思うのですが。
あと欠番も結構多くなる予定です。現時点(2024年1月13日)では22/33所巡りしか完了しておらず、なかなか大学生中に埋めきるのはしんどいという判断です。社会人になってからだと余計きついのはわかっているのですが、うまく時間は作っていきたいですね…
そして、更新頻度については、とりあえず週一ヵ所(卒論提出までは不定期)、その後余裕ができたらそれ以上のペースでまとめていきたいなと思っています。僕は極度の飽き性なので継続することがすごく苦手なのですが(このせいで今まで何度もブログを断念している)、これほど何度も出かけておいて全く記録に残せずに忘れていくのももったいないので、何とか形にできればということで。
ⅲ.一旦締め
ということで長くなりましたがここまでで前説は終わりです。気が付けば長くなる・書いてるうちに論理構造が明後日の方向に・いらない情報が多すぎてまとまりがないのいいとこなしなのですが、この作業を通じて少しずつ文章の質を上げられることを願いたいです。(2023/12/16)
(2024/01/13追記)
この記事を書いてひと月ほどの熟成期間を経て現在に至ります。卒論作業もかなり片付き(?)精神的な余裕をもってこれを公開します。文章力は卒論を通しても特に上がってはないですがよろしくお願いします。